- 00.はじめに
- 01.脚を失いかけた男
- 02.自暴自棄
- 03.心の淀み
- 04.フロンティアへ
- 05.無人砦
- 06.弱肉の地
- 07.”蹴る鳥”との出会い
- 08.好奇心
- 09.”拳をあげて立つ女”との出会い
- 10.ファーストコンタクト
- 11.通訳
- 12.心の砦
- 13.益をもたらす者
- 14.バッファロー狩り
- 15.『大切』なもの
- 16.記憶とは思い出の束
- 17.ビューティフル・ネーム
- 18.求め合う
- 19.愛するものを守る戦い
- 20.結婚の儀式
- 21.迫り来るの脅威
- 22.別れ
- 23.未来への旅立ち
- 24.終わりに
00.はじめに
~《誰かに伝えたい名セリフ》~
☆”風になびく髪”:「だが君が来るから、彼は去っていったのだ。今はそう思っている」☆1:38:40~1:41:20
~背景:友人になったスー族の”風になびく髪”が、主人公ジョンが密かに想う女性”拳をあげて立つ女”の夫(親友)の戦死を回顧する場面。この死生観はとても素晴らしい視点だと思います。誰も失っていない、いや一人去ってまたやって来るという自分への慰めです。そこには親友の立派な死と大切なものをもたらすために去っていったというリスペクトがあります。誰も傷つかない方法で死を受け入れることが素晴らしいと思いました。~
~《あなたに観せたい美しいキャメラシーン》~
☆スー族とジョンの別れのシーン。これもまた”風になびく髪”の行動です。崖の上から猛々しい男が槍を振りかざし、親友に別れの言葉を山々に響かせます。勇敢な狼の遠吠えのように悲しくも、ジョンヘの感謝を彼らしいやり方で表現しました。☆1:03~1:07:40
ご無沙汰しております。
映画を通して、生きるとは何かを問い続けている、もりともきです。
前回の作品『アメリ』で生きる意欲が湧き出してきたあなたに。
あなたの心にビビッと来るものは何だろう。
それが本当のやりたいことでしょう。
あなたが感じる心地よい「居場所」
ワクワクドキドキする未知なものに惹かれるあなた
人生の着地点を求める時期にいる方が最期に行う「役割」や「使命」
人生の苦しみを乗り越えてでもやり遂げたい、遺したい物
あなたには現在頭にはっきりと浮かびますか?
少々言っていることが重たいですが、今楽しければ充実していれば、それがあなたの目的なのだと思います。
ですがあなたは今、義務に追われ、社会規範に従い、人の目を気にしながら、自分の操縦席には誰もいない状態で、辛い辛い思いをしながら生きているかもしれません。
人生の苦しみ(生老病死)の影はどんな人にも付いてきます。
苦しみに耐え、寂しさのあまり振り向いてくれない他者にすがり、怒り、悲しみ、落胆しながら生きていくことは、それそのものが地獄な世界といってもいいかもしれません。
だから人は生きる理由を探し続けなければ、心と身体のエネルギーが同調せず、何気に流されて、現実にさまよってしまう。
そう考えると、「苦しみ」と「生きる意味」は切っても切り離せないものだと感じるのは私だけではないと思います。
むしろ神様は、人の「苦しみ」の重しの種類や重量を調整することで、「生きる意味」を考えさせているのではないかとも疑ってしまいます。
神様は「私の手伝いをしてくれませんか」と直接言う代わりに、私たち自身の本心から行えるようにいざなっているのないかと。
今回の作品は、生きる意味を持たずにこれまで生きてきた主人公ジョン・ダンバーが、西部開拓の未開の地に足を付け、彼だけの運命の人と出会い、彼だけの運命の場所を見つけ、癒やされ、守られ、戦い、育んでいく物語です。
監督のケビン・コスナーは『アンタッチャブル』『フィールド・オブ・ドリームス』その他のヒット作品で2枚目俳優のトップの座にありました。
そんな彼が2200万ドルもの巨額な制作費を私財から注ぎ込んだ、初監督作品です。
映画に対する情熱、作品に対する思いが本作品に込められています。
西部劇、雄大な音楽、そして社会的マイノリティへのリスペクト。
その世界を私たちに「体験」させてくれる試みは、映画でなくては不可能な奇跡だと思います。
登場するインディアンの部族、スー族の衣装に注目して欲しいと思います。
北軍の軍服よりもかっこいいんです。
勇ましいんです。
誇りをもって生きているスー族と惰性で過ごしている北軍とのはっきりした対比。
あなたは間違いなく物語の途中で、スー族の家族の一員になるでしょう。
さあ、見ていきましょう。
~《主な登場人物》~
ジョン・ダンバー中尉(”狼と踊る男”)・・・
北軍兵士。戦う意味を見失っている兵士の一人。そして生きるという意味も。
”蹴る鳥”・・・
インディアン。スー族の聖職につく男
”拳を握って立つ女”・・・
スー族の女性。幼い頃にスー族に育てられた白人
”風になびく髪”・・・
スー族の戦士。血気盛んで行動派。
”10頭の熊”・・・
スー族の老長。
”笑っている顔”・・・
スー族の幼い青年。
”蹴る鳥”の妻・・・
外では威厳に満ちた態度で振る舞う”蹴る鳥”の寄りどころ。彼女に頭があがらない
01.脚を失いかけた男
舞台はアメリカ開拓時代。
南北戦争は南北軍同士の戦いであり、また原住民のインディアンから多くのものを奪う行為でもありました。
冒頭からテーマ曲が雄大に、物悲しく響き渡り、本作品が、歴史映画、西部劇であるとはっきりと分かる音楽が流れます。
中尉である主人公ジョン・ダンバーは脚を負傷し、感染予防のために切断しなければならない窮地にいました。
医療班の男1:「こいつが最後か?」
医療班の男2:「知るもんか。麻酔薬がもうないぞ」
医療班の男1:「ちくしょう!」
全身血だらけの男たちは負傷兵のブーツを剥ぎ取り、足で隅に蹴散らします。
一人の兵士の命が軽く雑に扱われる、混乱した世界です。
医療班の男1:「ひどいな」
医療班の男2:「壊疽は免れてるようだ」
医療班の男1:「こいつも切断しなきゃ」
医療班の男2:
「こう疲れてては手も言うことを利かん。すまんな、コーヒーを飲ませてくれ」
男たちはしばし休憩に入ります。
負傷しているその男は息が絶え絶え。
懸命に起き上がり、辺りを見回すと、手術道具が並べられていました。
テントの外では脚を切られた兵士が杖をつき、不器用に歩いているのを見つけます。
男は自分の未来を見て、脚の切断を選ぶよりも死を覚悟したようでした。
枝木を口にくわえ、絶叫するような痛みに挑みながら、負傷した足に一気にブーツを履かせました。
《壊疽(えそ)》
血行障害や重度の感染、神経障害等により皮膚および皮下組織、筋肉などの組織が壊死に陥り黒色や黄色に変化した状態を壊疽と呼びます。これらの"きず"は、原因の特定と適切な治療がなされない場合には、化膿性関節炎や骨髄炎などにより下肢の大切断が余儀なくされたり、敗血症などによる多臓器不全にて生命に関わる病状に陥る可能性があります。従って、たとえ小さな"きず"であっても治りが悪い場合には適切な診断、治療を受ける必要があります
主人公が所属する部隊は南軍との膠着状態にありました。
両軍とも疲れ切っていて、兵士たちは横たわり、時々威嚇のために銃を撃つ程度。
脚の切断より死を決めた主人公ジョン・ダンバーは膠着状態の最前線にふらふらとやってきました。
兵士:「何で突っ立ってる?」
こちらを的に弾が飛んできます。
兵士:「撃たれるぞ!早く身を伏せろ!」
兵士はジョンの負傷した脚を発見します。
兵士:「手当てはしたのか?」
ジョン:「やめたよ。戦況は?」
兵士:
「戦況か?いい質問だ」
「少佐に尋ねてもいいが、彼は他の事で忙しい」
「士官用のアイスクリームが全部消えてね。ハッハッハ」
「大将も来ている。ドンパチを見に来たのに何も起こらない」
「少佐はきっとこう考えてる」
「”何かおっ始めよう”」
「おれは御免だぜ。真っ先に飛び出すのはね」
「南軍のタッカーの兵はつわもの揃いだ」
「こっち同様、疲れて気が立ってる」
「今まで撃ち殺されたのは牛が3頭だ」
「これからは人間だ」
「部下どもはこう言ってるぜ。”いっそポーカーで片をつけよう”とね」
「悪くない。敵味方が野っ原の真ん中でカード遊び」
当時の兵士たちに情熱も意欲も思想もなく、ただただ戦い続けているのがよく分かります。
02.自暴自棄
ジョンは胸に”US”と刻印された馬を見つけ、歩いていきました。
大将が望遠鏡でその戦況を見つめていると、ジョンが一人、敵軍の前に馬を走らせているのを発見します。
大将:「自殺行為だ」
南軍の兵たちは向かってくるジョンを目掛けて、銃を撃ちまくります。
南軍の兵士:「来い!撃ち殺してやる!もう1度やってみろ!」
ジョン:「いいとも。神よ、お許しを!」
ジョンはそう言って、死のうとしました。
ジョンは馬の手綱を離し、天に両腕を上げて、敵の弾を受ける体勢を取りました。
その瞬間、味方の軍が一斉に進軍を始め、ジョンは大勝利のきっかけを作り功績をあげます。
そして大将自ら、ジョンを介抱します。
ジョン:「脚は切らないでくれ」
大将:「心配するな。切らせんよ。私が約束する」
大将はジョンに敬意を表し、帽子を取ります。
大将:「私の担架をもってこい」
部下:「なんですって?」
大将:
「私の担架と私の医師を彼のために」
「勇敢な士官が傷を負ってる」
ジョンのナレーション:
「人生は不思議なものだ。自殺を試みて”生きた英雄”になってしまった」
「あの時、野で共に駆けた馬”シスコ”を与えられ、望みの駐屯地に行くことを許された」
「大草原の離れ島のようなヘイズ砦。そこに到着した時も血生臭い戦いは続いていた」
03.心の淀み
駐屯の長:「ジョン・J・ダンバー中尉?」
ジョン:「そうです」
中世ヨーロッパの貴族のような兵士らしからぬ、駐屯長は皮肉めいた表情で言います。
何かを食べながら規律なく気だるそうに。
駐屯の長:
「”そうです”か」
「インディアンと戦いに来たのか?」
ジョン:「なんですって?」
駐屯の長:
「ここに”開拓前線を希望”と書いてある。それで尋ねたのだ」
「私を推理もできぬバカだと思っている?」
「殊勲をたて、栄誉勲章を受けたのか?」
「なのにこんな所へ?」
ジョン:「私が希望したのです」
駐屯の長:「希望を?なぜだ?」
ジョン:「フロンティアを見たくて」
駐屯の長:「フロンティアを見たいだって?」
ジョン:「そうです。失われる前に」
駐屯の長:
「君のような英雄が?」
「勇敢な騎士よ。ナイトの任務を与えよう」
「我らの王国の果て、セッジウィック砦のカーギル大尉の元へ」
「私が署名したこの手紙が、危険な敵地で君の安全を保証する」
ジョンは駐屯長の手紙を受け取ります。
この駐屯長はどこか劣等感を感じさせる人物です。
栄誉を受けたジョンの行動や言葉を異様に気にしています。
この人物が”さまよった生き方”の例として、これからのジョンの未来と好対照に描かれています。
ジョン:「それで、そこへはどのように行けばいいのですか?」
駐屯の長:
「私が知らないとでも言うのか?」
「そう思っているのか?」
ジョン:「いいえ」
駐屯の長:
「黙れ。今日は機嫌がいいので特別赦そう」
「あの男を見ろ、ティモンズだ」
「今日、砦に発つから一緒に行け」
「彼が道を知ってる。以上だ」
ジョンが敬礼をすると、駐屯長はおどけるように敬礼を返します。
任務、敬意、自尊心など、生きることへの真摯さが彼には欠けていました。
駐屯の長:「騎士殿。私は小便を漏らした。だが誰も何もできん」
建物を出たジョンに駐屯長は窓から乾杯をします。
駐屯の長:「君の旅に!...私の旅に!」
無力さと諦めが駐屯長には漂っていて、部屋の中から外のジョンを見送る映像はガラスでぼやけています。
駐屯長の心象風景が描かれているようです。
駐屯長:「王は没した。王に栄えを!」
そうしてジョンを見送った後、駐屯長は銃で頭を撃ち抜き自死しました。
04.フロンティアへ
ジョンの旅立ち、まばゆい夕日が差しています。
西部劇の勇敢な進軍の音楽ではありませんが、希望に光を差す、ゆったりとした曲が流れています。
当面の食料を携え、ジョンはティモンズと共に最前線のセッジウィック砦に向かいました。
途中、白骨死体を見つけます。
インディアンの矢で射られ、死んでいました。
ティモンズ:
「何だね?」
「ハッハッハ...家族が言ってるよ。”手紙が来ないな”」
「書けないわけだ...」
そうティモンズは嘲笑しながら言いました。
仕草が粗野なティモンズ。
未開の地でのインディアンや野生動物への脅威。
恐怖からの緊張を和らげようとする、開拓者たちのおどけた行動、皮肉なセリフ、利己的な態度が、人間の弱さを表しています。
夜になり野宿する二人。
ティモンズは屁をしたり、わざとガサガサと音を立てびっくりさせたりして、気を紛らわせていました。
ティモンズ:「今のも帳面に書けよ!」
ジョンのナレーション:
「この男がいなければ、いい旅なのに・・・」
「悪人ではないのだろうが、野卑(やひ)そのものだった」
草原の大海原に風がなびき、涼やかな音がざわざわと響き、朝の陽光を迎えます。
ジョン:「バッファローはどこにいるんだ?」
ティモンズ:
「あいつらはいつ現れるか分からん。何日も現れんと思うと、突然大群が野を埋める」
ジョン:「インディアンは?」
ティモンズ:
「インディアン?あいつらめ!まだおっ死んでなきゃ現れる。あいつらは泥棒さ」
05.無人砦
二人はセッジウィック砦に着きます。
どうやら人が住んでいる気配はありません。
ティモンズ:
「どうやら、無駄足だったようだな」
「何もねえよ、中尉。無駄だよ」
「逃げたか殺されたんだよ」
ジョンは静かに建物を確認します。
ジョン:「よし、荷を下ろせ。俺は残る」
ティモンズ:「何もない所に?」
ジョン:「そう、今は何もない。何があったのか...」
ティモンズ:「だがこういうことなんだから、引き返そうぜ」
ジョン:「俺の任地だ」
ティモンズ:「任地?あんた、気は正気なのか?」
ジョンはティモンズに銃を向け、荷物を下ろさせました。
ジョン:「それは駐屯地用の食料だ。早く降りて荷を下ろせ」
ジョンは備品の1箱をティモンズに渡し、彼を帰しました。
ティモンズ:「隊に報告しておく」
ジョン:「頼む」
ティモンズ:「幸運を!」
ジョン:「ありがとう」
何も無い荒野をまた帰っていくティモンズ。
馬の歩きに合わせて馬車の軋む音、馬をムチで叩く呼び声。
アメリカ人には郷愁を呼び起こすシーンかと思います。
ジョンのナレーション:
「砦は無人だった。司令部の指示を待つほかない」
「砦の状態はひどく、明日からはまず修復に取り掛かる」
「食料は心配ない」
「夢に見た通りの土地だ。こんな土地は他にはない」
早速、ジョンは砦の修復をします。
水を汲みに行くために、少し離れた川に向かいます。
するとそこには馬車の残骸がたくさん散乱していました。
何者かによって無惨に襲われたようです。
ジョンは守備隊の末路に唖然としてしまいます。
川で水を汲もうとすると、その底にはシカの死骸がそのまま沈んでいました。
ジョンは愛馬の”シスコ”の力を借りて、それらの処分をし、燃やし尽くします。
06.弱肉の地
その煙は瞬く間に、空に舞い上がり、辺りに自分の存在を知らせることとなってしまいます。
インディアンA:「火を焚いてあんなに煙を出すのは白人だ」
インディアンB:「一人以上かもしれん」
インディアンC:「3~4人いるかも」
インディアンA:
「3人か4人なら始末してやろう」
「狩りは獲物がなかった」
「おれたちに銃はない。白人は銃を...」
インディアンB:
「何人いるかも分からん」
「戻ったほうがいい」
インディアンA:
「じゃあ、帰れ!おれは死を選ぶぞ。おれたちの土地に煙が立つのを見るよりはな」
インディアンB:「困った奴だ。皆殺しにされるぞ」
原住民には敵を排除して追い払い、先祖から受け継いだ土地を守る正義があります。
人間として、相手を恐れているのはどの種族も同じです。
このあと残忍な場面になりますが、「生」への強い意思とエネルギーが満ち溢れています。
作中の白人たちには倦怠と怠惰、受動的にしか動けない意志しかありません。
時を同じくして、帰途のティモンズが食事を取っていました。
煙を朦々と立ち込めて...
インディアンの知るところとなり、矢の的となり、皮まで剥がされて殺されてしまいました。
先日ティモンズが嘲け笑った白骨死体に、自分がなってしまいました。
ここには、真剣に誇り高く生きる原住民の生き様と、ティモンズの死の尊厳が感じられます。
ジョンは遠くに一匹の狼を見つけます。
銃口を向けるジョン。
今いるところは、いつ襲われてもおかしくない場所です。
何に対しても警戒が最大レベルのままです。
それは狼もまた同じです。
この作品のタイトルとなっている「ダンス・ウィズ・ウルブズ」
「狼と踊る男」
この狼はジョンの象徴的存在でもあります。
縄張り意識、孤独、恐怖、好奇心、自由。
見知らぬ存在に近づく感情を、原始的な本能として体内にあることを私たちは知ることができます。
何度か銃口を向けるジョンでしたが、狼を自分の鏡として見たのかもしれません。
銃を向けるのを止めます。
狼とジョンの関係の相似形として、これからジョンとスー族とのふれあいが描かれていきます。
ジョンのナレーション:
「到着してほぼ30日、守備隊が戻る気配はない」
「司令部は遠く、私は任地を捨てる気はない」
「食料は豊富だったが、大勢いるかのように節約しよう」
「狼が1匹、私に興味を示している」
「何の邪魔もせず、シスコ以外の私の友達になった」
「この2日、午後になると現れる」
「前脚に白い靴下を履いている」
「明日も現れたら、”2つの靴下”と名付けよう」
07.”蹴る鳥”との出会い
ある日、ジョンが水浴びをしていると、初老のインディアンが砦を偵察にやって来ます。
出で立ちは勇ましく、身につけた飾り物で地位のある人物だと分かります。
とても綺麗な朱色の羽を頭に付けていました。
シスコに近づこうとしていました。
気を取られている隙に、ジョンはそのインディアンを驚かせて、退散させます。
ジョンのナレーション:
「初めてインディアンを見た」
「砦に私の馬を盗みにきて、私の姿を見て逃げ去った」
「一人を見たという事は、近くに仲間がいるという事だ」
「余分の武器、弾薬は土に埋めよう」
「馬での遠出は止め、砦の見える距離を円形に巡察する。だが、このまま救援が来なければ望みはない」
「2日経ったが何もない。私の事は伝わったはずだ」
「考え得る準備は整えた。手薄い防備だが奴らが現れたら脅すことはできる」
「私の見たインディアンは見事な風貌だった」
そしてシーンはインディアンの会合になります。
”風になびく髪”:
「白人の話はもういい。我々スー族より劣る奴らだ」
「白人など、いくら来ようと笑ってやる」
「白人の馬をたくさん盗んでも自慢にならん」
「馬に乗るのも銃を撃つのもヘタクソだ」
「この土地でひと冬も越せなかった」
「奴らが栄える? 奴らはじき死に絶えるさ」
「そのバカははぐれ者さ」
”蹴る鳥”:
「”風になびく髪”が言うように、白人は確かに我々に劣る」
「だが彼らは今に必ず、我々を襲ってくる」
「その男は大胆にもたった一人だ」
「はぐれ者でなく、何か力を持っているのだ」
「白人の代表として話をしに来たのかもしれない」
「友好の協定を結べる相手かもしれん」
”風になびく髪”:
「”蹴る鳥”は賢く先を見ている」
「だがその男が我々に何の益を?」
「我々の子供に食い物を与えてくれるのか?」
「おれがそいつに矢を射ち込もう」
「魔力があるなら死なない。魔力がなければ死ぬ」
スー族の男:
「他人を止める事はできんが、白人を殺すのは問題だ」
「一人殺すと必ず仕返しに来る」
”10人の熊”:
「いろいろ意見が出ると混乱する。どうすべきか難しい」
「もっと時間をかけて話し合おう。それが私の意見だ」
08.好奇心
会合の話を側で聞いていた子どもたちは、すぐさまジョンのところに勇気だめしをしにやって来ます。
子どもたちはシスコを盗みだします。
スー族のこども:
「僕らは英雄だぞ!」
「歌に歌われるぞ!」
歓喜の絶頂の最中にこどもの一人が落馬しました。
シスコは解き放たれます。
男の子:「おい、どうした」
落馬したこども:「分からない。腕が動かない」
男の子:「落馬なんかして、困った奴だよ」
落馬したこども:「お前が誘ったんだぞ」
男の子:
「馬を盗もうと言ったんだ。誰が落馬しろと言った?」
「ドジなんだよ」
落馬したこども:「何を見てるんだよ!」
悔しくて男の子に向かって砂を投げつけました。
男の子:「父さんに弓で背中をひっぱたかれるぞ」
ジョンは入口に頭をぶつけたまま、朝まで気絶していました。
また再度、”風になびく髪”たちがやってきて、シスコを盗んで駆けていきます。
”風になびく髪”:
「おれは”風になびく髪”だ!」
「おれの名は”風になびく髪”だ」
「お前なんか怖くないぞ!怖くないぞ!」
日本の戦国時代の「やーやー我こそはどこそこ村のなにがしだ」と言ったところでしょうか。
形式と勇ましさの鼓舞ですね。
こうした最初の出会いは、相手への恐怖が誰にでもあるということが分かりますね。
未知のものが怖くない人間などいないのです。
同じ人間です。
ジョンの魔力なのか、シスコは逃れてジョンの元に帰ってきました。
ジョンのナレーション:
「私は間違っていた」
「ずっと何を待っていたのだろう」
「応援が来るのを?バッファローを見るのを?」
「ビクビクしながら事を待つのは、もう飽き飽きした」
「明日、危険を覚悟で奴らの所へ出かけてやる」
「的としてじっと待つのは、能がなさすぎる」
ジョンは身につけた銃やベルト、軍服をキレイに磨き、スー族の棲家を訪ねようと決意します。
09.”拳をあげて立つ女”との出会い
途中、木陰でインディアンの女が血だらけになってうめいていました。
ジョンに気づいて、逃げようとしました。
ジョン:「けがしてる。助けてやるよ」
”拳をあげて立つ女”:「ぎゃー...」
ジョン:「何もしないよ。ケガしてる」
ジョンは重症を負った女を介抱しようとします。
そして二人はもみ合いになり、女は気を失います。
ジョンは女を抱きかかえ、シスコに乗せて集落へとたどり着きます。
ジョンを目撃した母親とそのこどもたちはパニックになり、逃げ出しました。
数十人の村の戦士たちがジョンと対峙します。
ジョン:「彼女は怪我をしている...」
”風になびく髪”がこちらに歩いてきます。
”風になびく髪”:「こっちへ来るな!」
ジョン:「ケガしてる」
”風になびく髪”:「来るな!帰れ!」
”風になびく髪”は意識を失った仲間の女を見て、ひきずって後ずさりします。
まるで餌をあげた野良猫が、餌を咥えてさっとその場から離れるように、身構えながら距離を取ります。
”風になびく髪”:「おれたちは歓迎しない。帰れ!」
失意にうなだれて、砦に戻ろうとするジョン。
”蹴る鳥”はジョンの様子を興味深くじっと見つめていました。
ジョンを追い払おうと村の戦士数名が馬にまたがり、追い払おうとします。
”蹴る鳥”は男たちを制止しました。
”蹴る鳥”:
「待て!戦いに来たのではない」
「手を出さず、帰らせてやれ」
その夜、スー族の会合がまた開かれてます。
”10頭の熊”:
「私も”蹴る鳥”の意見に賛成だ。あの白人と話をしよう」
「なぜ、ここにいるのか...」
”風になびく髪”:
「この会議の決定ならおれは反対しないが、偉大な首長”10頭の熊”が白人の所へ出向くのか?」
「馬1頭と数着の服しかないケチな侵入者だ」
”10頭の熊”:
「私は行かぬ。お前が行くのだ。そしてお前もだ、”蹴る鳥”」
「私の話はそれだけだ」
10.ファーストコンタクト
清々しい青空の下、草原にはスー族の8人の戦士がジョンの砦を訪問しました。
馬の尻尾や戦士たちの整えられた髪がなびいています。
”蹴る鳥”と”風になびく髪”が近づいてきました。
ジョン:
「ようこそ。歓迎するよ」
「ハーイ!」
ジョンは後ろの戦士たちにも手を振ります。
ジョン:「さあ、座ってくれ」
二人は腰を下ろしました。
ジョンは四つん這いになって座り込み、何かをし始めました。
”風になびく髪”:「こいつはバカだ」
”風になびく髪”は話にならないと思い帰ろうとしますが、”蹴る鳥”は止めます。
”蹴る鳥”:「タタンカ!」
ジョン:「タンカ?」
”蹴る鳥”は角のジェスチャーをしてわかったよという風に言います。
”蹴る鳥”:「タタンカ」
ジョン:「タンタンカ?」
”蹴る鳥”はジョンが聞き取りやすいよう、一文字ずつ丁寧に発音しました。
”蹴る鳥”:「タ・タ・ン・カ」
ジョン:
「タタンカ?」
「タタンカ。バッファロー」
「バッファロー」
”蹴る鳥”は”風になびく髪”に聞き取れたかという風に顔を見合わせます。
”蹴る鳥”:「バッファ・ロ...」
ジョンのナレーション:
「1人は戦うのを遠慮したい強そうな男(”風になびく髪”)で、正直で率直な感じを受けた」
「一方静かな男(”蹴る鳥”)は辛抱強く、好奇心があり、私は好感を持った」
「かなりの地位を持つ男らしい」
「次の訪問では、彼らを感心させた」
「彼らが見たこともない、コーヒー挽き器」
緊張感の張り詰めた場面で、リズムを取って陽気に挽き器を回すジョンは彼らの心を和ませます。
戦士たちは怖い顔をしながらも、ジョンに渡された金属のコーヒーカップを持ち、ジョンのコーヒーができあがるのを待ちます。
ジョン:
「まずいか?」
「たぶん濃すぎたのだろう」
ジョンは砂糖を差し出しました。
”風になびく髪”は砂糖をなめて、少し笑ったように見えました。
ジョン:
「砂糖だ」
「入れるか?入れろよ」
ジョンは”蹴る鳥”に砂糖を勧めます。
”風になびく髪”は手のひらにたくさん砂糖を握りしめ、”蹴る鳥”のカップに投げ入れました。
ジョンはその様子を見て、
ジョン:「入れ過ぎだ...」
”蹴る鳥”はカップに手を覆い、それ以上入れるなとジェスチャーします。
ジョンのナレーション:
「やっと友だちができた」
「言葉は通じなかったが、”蹴る鳥”は何か聞きたげだった」
「コーヒーと砂糖をたっぷりと土産に持たせた」
「友好関係の土台はどうやら築けたようだ」
11.通訳
ジョンが助けた女性は、実は白人女性でした。
幼い頃からスー族の下で暮らしていました。
”蹴る鳥”はこの女性”拳を握り立つ女”に通訳を務めるように要請しますが、彼女はジョンを怖がり、了承しません。
”蹴る鳥”:「傷はよくなったか?」
”拳を握って立つ女”:「ええ、お陰様で」
”蹴る鳥”:「私の家では幸せかね?」
”拳を握って立つ女”:
「ええ、感謝しています」
「でも時々、夫が恋しくて...」
”蹴る鳥”:
「時を待って再婚するといい」
「白人がやってくるという話を耳にした」
「やがて我々の土地にもくるだろう」
「砦にいる白人はいい心を持っているようだ」
”拳を握って立つ女”:
「私はあの人が怖いわ」
「私のことをほかの白人に話して、私を連れ去るかもしれない...」
「そういう奴らよ」
”蹴る鳥”:
「その時は戦うよ」
「私は彼の言葉を話さず、彼はスー語を話さん」
”拳を握って立つ女”:「私だって白人の言葉はもう...」
”蹴る鳥”:「思い出してくれ」
”拳を握って立つ女”:「そんな無理よ」
”蹴る鳥”:「頼む」
”拳を握って立つ女”:
「無理よ」
「死んでしまった言葉よ」
”蹴る鳥”:
「私のためではない。部族のためだ」
「白人の事を聞き出すのだ」
「思い出してくれ」
”拳を握って立つ女”:「だめよ、できないわ」
”蹴る鳥”は村の重役なのですが、その奥さんにはとても頭があがらないようです。
こういった所も愛らしくて和むシーンです。
昔の西部劇ではインディアンは残忍で盗賊で不潔といった、白人の敵、物語としての悪役としてしか描かれていませんでした。
”蹴る鳥”の妻:「白人の言葉を思い出すって?」
”蹴る鳥”:「できないと言ってる」
”蹴る鳥”の妻:
「あの娘、泣いてたわ」
「あんたが無理強いしたのね」
”蹴る鳥”:「私が?...」
12.心の砦
ジョンと狼のふれあうシーンです。
ジョン:「”2つの靴下”、ベーコンだよ」
ジョンのナレーション:
「”2つの靴下”と友だちになったが、手からは食べなかった」
「その鋭い目と耳が私の警報になった」
狼が警戒すれば、それは誰かがやってきました。
”蹴る鳥”:「バッファ・ロ..」
ジョン:「いいや、バッファローは見かけない。すまん」
”蹴る鳥”はジョンに立派な毛皮をプレゼントしました。
ジョン:
「腹は減っているか?」
「食い物ならたくさんある」
”蹴る鳥”と”風になびく髪”はわざわざ、贈り物のために訪ねてくれました。
遠くでこちらを見守る男たちにもジョンはお礼代わりに、手を振ります。
すると一人の男が手を挙げて、返事を返してくれました。
ジョンのナレーション:
「彼らが盗人だという話は大うそだった」
「あやしい宗教も持たず、礼儀正しく、ユーモアを解した」
「だが思うように話が通じず、互いにいら立った」
「成功より失敗で何とか進歩が得られていた」
「助けた女の安否を尋ねたかったが、そういう複雑な話は無理だ」
「バッファローを待っている事だけは分かった」
「昨日はよく話が通じて、彼らの村へ招待された。楽しみだ」
ジョンは”蹴る鳥”のテントに招かれます。
部族のタバコを喫煙し、文化交流を図ります。
ジョンはたくさんの剥製を目にします。
”拳を握って立つ女”が入ってきました。
”蹴る鳥”:
「よく来てくれた。お前を待ってた」
「『来てくれて嬉しい』と伝えてくれ」
”拳を握って立つ女”:「ハロー...あなた...ここ...うれしい...」
ジョン:「ありがとう。僕もとても嬉しい」
”拳を握って立つ女”はジョンの言う通りを”蹴る鳥”に伝えました。
”蹴る鳥”:「なぜ兵隊が砦にいるのか、聞いてくれ」
”拳を握って立つ女”は、幼い頃の記憶を頼りに英語を思い出しながら、片言ずつ話しています。
”拳を握って立つ女”:「兵隊の砦...あそこへ...」
ジョンは言葉を遮りました。
ジョン:「まず名前を教えて欲しい」
”拳を握って立つ女”:「名前?」
ジョン:「彼の名は?」
”蹴る鳥”:「彼の言う通りだ。名を名乗り合おう」
”拳を握って立つ女”:「彼は...蹴る...もっと...」
ジョン:「もっと蹴る?」
”拳を握って立つ女”:「”蹴る鳥”」
ジョン:「彼は首長かい?」
”拳を握って立つ女”:「いいえ...」
じれったい”蹴る鳥”は”拳を握って立つ女”に催促しますが、思い出すのに時間がかかるので、”蹴る鳥”は怒られてしまいました。
”拳を握って立つ女”:「彼は聖...聖人よ」
ジョン:「君の名は?」
”拳を握って立つ女”はジェスチャーを交えて、ジョンに自分の名前を伝えます。
ジョン:「立ち上がる?」
”蹴る鳥””拳を握って立つ女”は首を振り、もう一度ジェスチャーします。
ジョン:
「立つ?」
「立つ?”立つ”かい?」
「”立つ”って名前かい?」
「もっと?拳?」
「拳を握って立つ?」
「”拳を握って立つ女”!」
「僕はジョン・ダンバー」
”拳を握って立つ女”:「ジョン...ジョン・ダンバー」
”蹴る鳥”は聞こえた通り発音してみました。
ジョン:「”ダンベアー”じゃない」
”蹴る鳥”:「ダン・バー」
三人は素晴らしい夕陽と共に秋の訪れた自然の中を散策しました。
ジョンのナレーション:
「英語を話す女がいて、理解が進んだ」
「だが、あまり答えぬほうがいい」
「軍人意識のせいか私は答えを控えた」
「砦に戻るとホッとする」
「隣人を訪れても私の家はやはりここだ」
「交渉が実を結ぶ事を望みながら、援軍を待とう」
時折記されるナレーション形式のジョンの日誌に、心の変遷が読み取れます。
砦に帰り一人の時間を過ごすと心がやすらぎます。
13.益をもたらす者
夜中、ジョンが寝ていると地響きが聞こえてきます。
外に出てみると、バッファローの群れがうごめいていました。
ジョンは大慌てでスー族の村にバッファローの訪れを知らせに走ります。
スー族は儀式の最中でした。
太鼓に合わせて声を出し、リズムを取り、火に囲まれて踊ります。
まだ信用されておらず、他の村人と面識の無いジョンは、男たちに囲まれて取り押さえられます。
ジョン:「タタンカ!タタンカ!」
人差し指でバッファローの角を模して、必死に思いを伝えます。
部族に益を告げる白人。
コミュニケーションとは何だろうと思わずにはいられません。
白人とスー族を繋ぐ、唯一のパイプ。
純粋に相手を喜ばせてやりたいという真摯な気持ちがそこにはあります。
ジョンのカタコトのスー語が通じ、村人たちは一転して歓喜に湧きました。
ジョンのナレーション:
「私は砦で用意を整え、意気上がる村人と合流」
「その能率とスピードは、訓練された軍隊にも優った」
「一夜にして私は”疑わしいよそ者”から”信頼できる男”になった」
「ほほ笑みと感謝の眼差しが注がれ、言うなれば”有名人”だった」
村の子供たちが笑顔でジョンに挨拶をします。
子どもたち:「ダダーン!ダダーン!♫」
ジョン:「ダダーン!♫」
ジョンも笑顔で返します。
ジョンのナレーション:
「斥候(敵軍の動静・地形などをひそかに探り監視するために、部隊から差し向ける少数の兵)は群れの行方を突き止めた」
「困難な仕事ではない」
「蹴散らされた巨大な道が地平線まで延びていた...」
「道を作るほどの動物の数は想像を絶する」
この作品のもう一つの特長はスペクタクルな自然と動物を見ることができることです。
その雄大な馬の放牧、バッファローの動のエネルギー、狩る集団の洗練された動き、とても貴重な映像は映画でしか見ることができない瞬間です。
ジョンは”蹴る鳥”に促され、前方に移動しました。
そこには無惨に殺されたバッファローの姿が多数ありました。
その理由とジョンの複雑な気持ちをナレーションで聞いてみましょう。
ジョンのナレーション:
「誰がこんな事を?」
「魂と心を持たず、スー族の儀式を踏みにじる奴らの仕業だ」
「馬車のわだちが証拠だ」
「白人だと知って私の心は沈んだ」
「舌と毛皮だけのために殺され朽ちるバッファロー」
「活気に満ちた声は沈黙に変わった」
「明日の狩りを祝う席にも私は居づらかった」
「彼らと一緒の所では眠れなかった」
「彼らの目に非難の眼差しはなく、ただ未来への不安と混乱があった」
14.バッファロー狩り
村人たちは狩りの前に、馬に綺麗な装飾を施しました。
安全祈願のお守りみたいなものだと思います。
村の男たちとともに四つん這いになって移動し、伏せて丘の下のバッファローを確認します。
このシーンで、もうジョンがスー族の一員だとはっきりと分かります。
物音を立てて逃げられるとお終いの狩りの行動に、共に役目を担えることは誇りです。
男たちは雄叫びをあげて、颯爽と狩りを始めました。
狩るもの、狩られるものに向けたリスペクトに溢れる、猛々しい、スピード感満載のシーンです。
たちこめる砂煙、バッファローの重低音の足音、スー族の男たちの追い込みの声、素早く射る弓矢、倒れ込むバッファローの巨体。
ここは大きなスクリーンで観たいですね。
手負いのバッファローが落馬した青年戦士の”笑っている顔”に襲いかかります。
ジョンの銃が、間一髪”笑っている顔”を救いました。
”風になびく髪”は捕らえたバッファローの新鮮な臓物を取り出し、食べろとジョンに渡します。
あっけにとられるジョンでした。
とても名誉な事だと知ったジョンは、臓物をかぶりつきました。
仲間だと認められた瞬間だと思います。
本作品の分岐点ですね。
ジョンは自らのアイデンティティーをこの場所に手に入れたのです。
15.『大切』なもの
ジョン:
「もう、無理だよ。これ以上、喰えないよ」
「今日の話ももう語り尽くした」
”風になびく髪”はジョンの軍服のキラキラしたボタンに興味を示し触ります。
ジョン:「着てみるかい?」
”風になびく髪”は彼のこれまでの功績であろう、身につけていた立派な装飾品をジョンに手渡します。
”風になびく髪”は軍服を着ました。
そして彼はジョンにも装飾品を身につけるように促します。
”風になびく髪”は持っていけというジェスチャーをします。
ジョン:「これはもらえないよ」
”風になびく髪”は「いいんだ。何も言うな」というジェスチャーをします。
ジョン:「じゃあ、交換だ。いい取引だ」
ジョンは段々と彼らの世界へと歩んでいくんですね。
”風になびく髪”は無骨で喜びを表情には出しませんが、もっと飲もうとさらにジョンを誘いました。
ジョン:「勘弁してくれ。腹いっぱいで疲れた」
それでも”風になびく髪”は強引に彼を連れていきました。
ジョンも根負けしてついていきます。
大きなテントの中に、子どもも女も男も老人もみんな肩を寄せ合い、焚き火を中心にして語らいます。
ジョンは片言のスー語とモノマネ、手振りでタタンカとの奮闘を熱弁します。
ジョン:「大きなタタンカ」
銃声とバッファローが倒れていく様を真似ます。
ジョン:「プシュー。ゴロゴロゴロ」
村人は大笑いでジョンの話を聞いていました。
そこには確かにジョンがこれまで感じたことがないような、温かで情熱的な人間味がありました。
男の一人がいつのまにかジョンの帽子を被っています。
ジョン:「おれの帽子だ」
男:「おれが拾った。おれの物だ」
ジョン:「おれのだ」
二人は立ち上がり、その場に緊張が生まれます。
ジョンの隣にへばりついていた”風になびく髪”が男に言います。
”風になびく髪”:「それは中尉の物だ」
男:「いいや。彼は草原に捨てていった」
”風になびく髪”:
「返してくれと言っている」
「兵隊の帽子って事は皆知ってる。誰がかぶっていたかも知ってる」
「欲しけりゃ何かと交換しろ」
男は納得して身につけていた装飾品をジョンに手渡しました。
ジョンも納得した様子です。
”風になびく髪”:「いい取引だ」
”風になびく髪”は自分との物々交換の時に言ったジョンの英語をジョンにささやきました。
ジョンは歴史上、これまで身ぐるみ剥がされ力で奪われた白人の品物を、信頼関係で手渡した最初の人となります。
人との関係は”与え合う”ことで、深い関係が築けます。
どんな民族にも”返報性の法則”があるのだと思います。
相手を気にかけ、相手のことを考える。
すると何かしてあげたいと思う。
物や行動、言葉を優しく与える。
相手は感謝してくれる。
またこちらもいい気分になります。
これはオキシトシンホルモンです。
与えられた方も感謝された方もいい気持ちになる。
感謝としてお返しをくれる。
するとこちらが感謝する。
いい気分。
お互いに何を与えたらいいのか、深く考え調べる。
そうしてよく互いを知っていく。
”知り合う”ということは恐怖からでなく、思いやりからです。
かたや、”奪い合う”にも返報性の法則が働きます。
それが”復讐”です。
”目には目を、歯には歯を”
”奪い合い”がいいか”与え合い”がいいかは一目瞭然です。
貰うばかり、求めるばかり。
これも”奪う”ことと同じことです。
人間関係ではとても大切なことだと思います。
朝焼けが紫色に染まり、地平線を挟んで豊かな肥沃な土地と調和しています。
ジョンのナレーション:
「毎日が奇跡を生んだ」
「神が何であれ私は神に感謝した」
「選べるだけの肉は手に入れた。もう十分だ」
「3日間の狩りで、被害は6頭の馬とケガ人3人」
「笑い声が絶えず、何よりも家族と仲間を大切にする人々」
「”調和”という形容しかない」
「今までも孤独だったがこれほどの孤独を感じた事はなかった」
真剣に、真摯に生きるスー族を見て感じて、ジョンはこれまでの自分の生き方と比べたのだと思います。
単に”独り”という以上に、心と体がバラバラ、意欲の発揮する場所がない状態で過ごしてきた人生だったのかもしれません。
そうした”孤独”もあるのだと思います。
『大切』という言葉があります。
この『切』とはどういう意味でしょうか?
『親切』『適切』『切迫』『切実』
辞書によると、「刃物で切り取って、心が行き届くように自分の身近なところに置く」という意味です。
『親切』とは 昔『深切』と書いていたそうです。
自分の懐深くに置く。
「お気に入り」「優先」「ひいき」ということですね。
ジョンはスー族を受け入れ、スー族はジョンを受け入れた。
彼と彼らは特別な存在となったのです。
16.記憶とは思い出の束
ジョンは砦で独りおもむろに、薪を集め火を焚き、その周りを無心に、そして情熱的に踊ります。
自然な心から湧いて出た行為。
とても神聖で美しい場面です。
猛々しく燃え上がる炎、力強い腕の振り、軽やかな力の抜けたステップ。
ジョンの精神性とエネルギーと身体がリズムに乗って”調和”を生み出していました。
”2つの靴下”もシスコもジョンの動きに目と心を奪われていました。
ジョンのナレーション:
「2日が1週間に思える」
「新しい友達が恋しい」
「顔を思い描くだけでは足りない」
「隣人なのだから明日は黙って訪ねてみよう」
私たちは子供の頃、時間を長く感じていたと思います。
それは暇な時間が多かったのもあるかもしれませんが、今の瞬間に心も身体も入り込み、体験し、楽しんでいたからだと思います。
多くの扉を入っては出て、入っては出てと冒険していた。
大人になるに連れて、習慣ばかりが増え、「やらねばならない」行動が増えてしまった。
冒険の扉は閉じられ、何年先も予想がついてしまう時間の過ごし方になった。
世界は単純化されて退屈になる。
記憶がスカスカだと時間があっという間に感じるのだと思います。
思うに、何か記憶の束というものが時間の長さの単位として、私たちは感じるのではないでしょうか。
思い出の数が少ない!
そもそも人間は何を記憶しようとするのか。
一番はそれが危険かどうか。
心理的にも身体的にも危ない目にあったことは絶対に忘れない。
痛み、悲しみ、興奮したものは記憶に残す。
探検、冒険、怪我、喧嘩、親しい人・ペット・物との別れ。
そして、危険を避けるために、一度得た安心の時間も忘れない。
美味しいものをお腹いっぱい食べたこと。
家族や仲間と心から触れ合った時。
誕生日や旅行、部活動、卒業、結婚、出産。
ストレスホルモンのコルチゾール、アドレナリン、幸せホルモンのセロトニン、オキシトシン、ドーパミンが記憶を刻みます。
そして何度も思い出して追体験をする。
私たちの脳は喜びと刺激に満ち、パンパンだ。
脳だけではなく、胃も肝臓も手も脚も、身体全体があらゆる感覚が記憶に記録している。
ずっと忘れないで覚えている。
真摯に生きている人とさまよっている人とはこれだけ違いがある。
17.ビューティフル・ネーム
ジョンはシスコとともに草原を駆けています。
すると”2つの靴下”が後を追って走ってきました。
私は旭山動物園でシンリンオオカミを見たことがありますが、とても大きく神秘的な生き物です。
ジョン:
「帰れ!”2つの靴下”」
「悪いオオカミだ」
ジョンとオオカミは互いに追いかけ合い、鬼ごっこをします。
その様子を”蹴る鳥”たちが不思議そうに見つめていました。
ジョンのナレーション:
「秋が来て彼らと一層親しくなった」
「専用のテントも与えてくれた」
「”蹴る鳥”はしつこく私に尋ねた」
「”もっと白人がここへ来るのか”と」
「彼らは通過するだけだと私は答えたが、それで済まない事を私は知っていた」
「だがそうは言えなかった」
「彼女はそれに感づいていたが、何も言わなかった」
「ポーニー族との戦いが迫っていた」
「私も参加を望んだが間違いだったようだ」
「スー族は私の友達、ポーニー族は彼らの敵だ」
「出過ぎた願いだったのか...」
ジョンのテントに”蹴る鳥”と”拳を握って立つ女”が訪れます。
ジョン:「座って」
”拳を握って立つ女”:
「”蹴る鳥”は尋ねてる。なぜあなたがポーニーと戦うのか」
「何も恨みはないはずだと」
ジョン:「スー族の敵だ」
”蹴る鳥”:「戦うのはスー族の戦士だけ」
ジョン:「僕は部族の若い戦士より戦いの経験がある」
”蹴る鳥”:
「スー族の戦い方は白人とは違う」
「白人のあなたにはまだ無理だ」
ジョン:「だがその戦い方は戦場でしか学ぶ事はできない」
”拳を握って立つ女”は訳す前に、驚きの表情で”蹴る鳥”と顔を見合わせます。
”拳を握って立つ女”:
「”戦いに出ている間、私の家族を守ってほしい”と」
「それを頼まれるのは名誉な事よ」
ジョン:「喜んで彼の家族を守ると言ってくれ」
”蹴る鳥”:「”狼と踊る男”に感謝する」
ジョン:「”狼と踊る男”って?」
”拳を握って立つ女”:「村の人は皆、あなたをそう呼んでいるの」
ジョン:
「狼と踊る?」
「そうか!あの日だな」
”蹴る鳥”は優しくうなずきます。
ジョン:「スー語では何て言う?」
”拳を握って立つ女”:「シュグマニツトンカ、オブワチ」
ジョン:「シュグマニツトンカ、オブワチ」
ジョンは感慨深そうに、スー語の名前を口にしました。
黄色く色づいた秋の葉がそよ風に揺られる音を心地よく聴きながら、ジョンと”拳を握って立つ女”はお互いのことを話しました。
ジョン:「ひげはない。今日剃り落とした」
”拳を握って立つ女”:「”草は野原に生える”」
ジョン:「”火は野原に生える”?」
”拳を握って立つ女”:「違うわ。”草は野原に生える”と言ったの」
ジョン:「笑うなよ」
ジョンもまたスー語を懸命に覚えていっているようです。
ジョン:「君の名の由来は?」
”拳を握って立つ女”:
「私がここへ来た時は、まだ子どもだったの」
「たくさん働かされたわ。毎日、毎日、たくさん」
「村の女たちの中に、とても私を嫌ってる女がいて、私にひどい事を言ってよく私をぶったの」
「ある日、その女が面と向かってひどい事を言ったので、私が殴ったの」
「私は小さかったのに、その女は倒れて動かなかった」
「私はそこに立って、拳を振り上げて言ったの」
「誰かほかに私に向かって何か言いたい人はいるかと」
「誰も私をいじめなくなった」
ジョン:
「だろうね。わかるよ」
「どこを?どこを殴った?」
”拳を握って立つ女”ははにかみながら、優しく拳をジョンの顎に触れました。
ジョンはノックアウトされたように、おどけてそのまま後ろに倒れ込みます。
村の子どもとの遊びでも、ジョンは矢に撃たれて倒れる演技をしました。
こうして、大きなアクションをしてあげると、君は大事な人だよと言ってあげているかのようですね。
ジョン:「結婚しないのか?」
”拳を握って立つ女”はとても戸惑う表情を見せ、ジョンはそれを感じ取ります。
ジョン:「ごめんよ」
”拳を握って立つ女”:「もう行くわ」
ジョン:「悪かった。その水袋を一緒に運ぶよ」
”拳を握って立つ女”:「いいの」
ジョンはしまったと質問したことをとても後悔しました。
18.求め合う
ジョンと老人が話をしています。
”石の子牛”:
「まだ時々間違った言葉を使うが、覚えるのは早い」
「今日は何の話をしたいかね?」
ジョン:「”拳を握って立つ女”はなぜ独りで、夫がいないんだ」
”石の子牛”:「喪に服しているのだ」
ジョン:「”喪に服す”?知らない言葉だ」
”石の子牛”:「死を悲しんでる」
ジョン:「死を?誰の死を?」
”石の子牛”:
「死んだ者の話をするのは礼儀に反するが、君には話そう」
「彼女の夫は最近、戦いにで出て殺されたのだ」
「君が彼女を野原で見つけたあの時だよ」
ジョン:「死んだ者を悲しむ期間は?」
”石の子牛”:
「その時期を決めるのは”蹴る鳥”の役目だ」
「彼が子どもだった彼女を見つけたんだ」
ジョンはテントを後にして砦に戻ります。
武装の準備でしょうか。”拳を握って立つ女”への想いを心の中で独り、確かめるためでしょうか。
一人の時を過ごそうとします。
ジョンは物思いにふけった後、日誌に書き記しました。
日誌:「”拳を握って立つ女”が好きだ。”狼と踊る男”」
ジョンは久しぶりに”2つの靴下”とふれあいます。
ジョン:
「なぜ手紙をくれないという顔だな」
「やあ、”2つの靴下”」
ジョンは懐からバッファローの肉を取り出します。
ジョン:
「さあ、食えよ。さあ、さあ」
「怖がることはない。怖がるな」
まるで、ジョンがこれから入り込もうとする家族、スー族に対する自分の覚悟や心持ちを表しているようでした。
狼は恐る恐るジョンの手から肉を食べました。
”拳を握って立つ女”はジョンの元へやって来ます。
”拳を握って立つ女”:
「私は喪に服しているのよ」
「いけない事よ。見つからないように用心して」
二人は狂おしいほど、口づけしました。
夕焼けのオレンジをまとった辺りの草や川、木。
すすきの綿毛がふわふわと何個も風になびかれ、キラキラと蝶のように舞っていました。
ジョンはそのまま、スー族のテントへと戻ります。
19.愛するものを守る戦い
その夜、辺りの騒がしさに気づきました。
”拳を握って立つ女”:
「40人か50人のポーニー族が近くにいるようよ...」
「北の方角から、じきにここへくるわ」
ジョン:「”石の子牛”、わたしも一緒に行くよ」
”石の子牛”:
「奴らの狙いは馬でなく血だ」
「武器を持って来い」
ジョン:
「”石の子牛”、待ってくれ」
「砦に銃とライフルがあるんだ」
”拳を握って立つ女”:「砦に?」
”10頭の熊”:「取りに行く暇はない」
ジョン:「一人で二人分戦えるよ」
”10頭の熊”:「誰か一人連れていけ」
ジョン:「”笑っている顔”と行くよ」
”笑っている顔”はまだ幼い青年で、バッファローのジョンが救った子です。
二人はどしゃぶりの雨の中、土中に埋めた武器を掘り起こします。
ポーニー族との戦闘シーンが始まりました。
お互いのプライドをかけた戦い。
銃、ライフル、矢、拳、雄叫び。
”石の子牛”が戦死します。
幼い子どもたちまでも、必死に矢で応戦します。
戦況は、銃、ライフルで勝るスー族が打ちのめす結果となります。
最後のポーニー族の一人が、スー族に囲まれ逃げ場はありません。
彼は誇り高く、勇ましい声をあげて、死を受け入れました。
ジョンのナレーション:
「どう感じるべきか...」
「こんな戦いは初めてだ」
「暗い政治に対するでもなく、領土や富、自由解放を求めるでもない」
「ひと冬を越すための食料を守り、眼の前にいる家族の命を守る戦いだ」
「”石の子牛”は戦死した。だが戦いは大勝利だった」
「私の中に新たな見方が...」
「今までにない誇りを感じた」
「”ジョン・ダンバー”とは何者なのか」
「何の意味もない名前だ」
「新しい名前を呼ばれて、本当の自分を見出した気がする」
生きることとはどういうことか。
生き抜くことの困難さと対峙したジョン。
そしてそこに貴重さ、ありがたさを見出す。
感謝と誇り。
守るもの、守られるもののおのおのの役目を真摯に果たすこと。
一時の仲間同士のふれあいがどんなに貴重な時間なのか。
生と死のはざまで生きる人間にとって、苦しみと安心は切っても切り離すことはできない。
補完し合っている。
人は必ず、生きることに「意味」を見出さなければいけないのではないかと思う。
苦しみの割合だけ大きいということに人は耐えきれない。
それは楽しみでも同じこと。
快楽をもっともっとと欲求することは苦しみだからだ。
それは近代でも現代でも変わりはない。
未来に、次の子孫に託さねばならない。
地球から月までハシゴをかけるように。
どうして人には人が必要なのか?
食を得るとは、他の生を奪いながら生きること。
しかし、奪われた者は無情で終わりではない。
「託した」のだと思う。
役目を終えて、次の生に生まれ変わる。
宇宙という無限の中の、生という有限。
だから貴重なのだと思う。
だから生きることに真摯でなければならない。
「繋ぐ」ことに「意味」がある。
アイデンティティーとは何か。
それを感じ取った時、自分の役目を悟り、死を超越して、真摯になれる。
その時初めて人は宇宙の無限を感じとることができる。
その時初めて人は自分が自分で良かったと心の底から思う。
20.結婚の儀式
ポーニー族との戦いが終わり、戦士たちが村へ帰ってきました。
盛大な宴と語らい。
”風になびく髪”:「まだ行くな。皆で賭けをしよう。”馬の背”のテントで」
ジョン:「”馬の背”にはもう銃を取られたよ。おやすみ」
”拳を握って立つ女”とジョンとの関係を”蹴る鳥”の妻が気づきます。
”蹴る鳥”の妻は”蹴る鳥”と話します。
”蹴る鳥”の妻:「”拳を握って立つ女”の忌明けはいつ?」
”蹴る鳥”:「さあ、いつかな」
”蹴る鳥”の妻:「早く明けるといいのに...」
”蹴る鳥”:「なぜだ?何か理由があるのか?」
”蹴る鳥”の妻:「また愛を見つけたの」
”蹴る鳥”:「相手は誰だ?」
”蹴る鳥”の妻:「分からないの?」
”蹴る鳥”:「言えよ」
”蹴る鳥”の妻:「”狼と踊る男”よ」
”蹴る鳥”:「それは確かか?」
”蹴る鳥”の妻:「二人を見ればあなたも分かるわ」
”蹴る鳥”:「村の連中は何と言ってるんだ?」
”蹴る鳥”の妻:「いい縁談だと」
”蹴る鳥”:「反対の者はいるのか?」
”蹴る鳥”の妻:「白人同士なのよ。理想的だわ」
”蹴る鳥”:「おれが許せばいいってわけだな」
”蹴る鳥”の妻:「あなたの娘同然なのよ」
”蹴る鳥”:「分かってる」
”蹴る鳥”の妻:「あなたにも読めない事があるのよ」
あくる朝、”蹴る鳥”は”拳を握って立つ女”に忌明けを告げました。
”風になびく髪”とジョンはもはや親友の間柄になっていました。
”風になびく髪”:「似合うよ。彼女を残して死んだ夫は、生前はおれの親友だった」
ジョン:「知らなかったよ」
”風になびく髪”:
「とてもいい男だった」
「だからお前を歓迎しなかった...」
「おれは”蹴る鳥”と違って、ヤツの死を理解できず怒りだけを感じていた」
「だが君が来るから、彼は去っていったのだ。今はそう思っている」
”狼と踊る男”と”拳を握って立つ女”は晴れてスー族として、婚礼の儀式をしました。
”蹴る鳥”:「今日はめでたい日だ」
ジョン:「僕にも」
”蹴る鳥”:「この男を求めるなら、彼の手をとるがいい」
ジョンのナレーション:
「結婚は初めてだが、花婿は皆こうなのか」
「”蹴る鳥”は夫の務めを説明していたが、私は彼女しか目に入らなかった」
「花嫁衣装の飾り、顔の輪郭、目の輝き、小さな足。永遠の愛を感じた」
”蹴る鳥”:「私の話が分かったかね?」
ジョン:「ああ」
”蹴る鳥”:「ではテントに連れてゆけ。君の妻だ」
ジョン:「ありがとう」
以後も”蹴る鳥”とジョンは語らいます。
ジョン:「外は気持ちがいい」
”蹴る鳥”:「そうだろうな」
ジョン:「赤ん坊を作りたい」
”蹴る鳥”:「すぐにか?」
ジョン:「ああ、すぐに」
”蹴る鳥”:
「この世で人の生きる道はいろいろあるが、何よりも大切な事は本当の人の道を歩むことだ」
「君はその道を歩んでいる。すばらしい事だ」
「仲のいい夫婦だ」
”蹴る鳥”の言う『本当の人の道』とはどういうものでしょう。
習慣、考え方、感じ方は違うけれど、”蹴る鳥”はずっとジョンを見てきました。
どこか孤独で、地に足が付いていない、迷いをジョンの中に感じていたのではないか。
わたしの愛読書でもある漫画ワンピースの中で、主人公の祖父であるガープ中将は言います。
ガープ中将:「迷いがあるヤツは弱い!」
どんな生き方でも人は許されると思います。
それはその人の人生であり、苦難を受け入れるのは本人だからです。
義務教育、結婚、出産、労働といった「ねばならない」枠などはありません。
無理に学校に行く必要もないですし、結婚・出産・子を持つことは自由選択です。
そうしないからといって誰からも責められるべきではない。
生きるだけで辛いこの世に無理やり連れてこられて、他人に義務を強いられることほど、理不尽なことはありません。
しかし、何かを選び取り、それに向けて行動することに「芯」があるとするならば、そここそが唯一の「正しい」ことだと思います。
社会保障やセーフティーネットで命は保証されるべきだと思います。
しかし生きる「苦しさ」はもっと強大で、「生きる意味」を持ち「芯」や「根っこ」を作っておかないと、私たちは容易に吹き飛ばされてしまいます。
それほど、心というのは脆いものだと思います。
「守るもの」があることは素晴らしいことです。
「伝えること」を持っている人は幸せです。
「繋ぐ」ことを発見することは、自分にどんどん価値を与えることとなります。
ゲームは楽しい。
お酒は美味しい。
買い物は刺激的です。
昔はいづれ飽きるものが多かったですが、今は売り手もどんどんとあなたのドーパミンを出し続けるために趣向を凝らしてきます。
抜け出せなくなることもしばしば。
ストレス源から逃れるために、依存症に陥る行為もあります。
それは何者かに「強いられた」行為です。
受動的な生き方です。
人生最期の日に何かを遺せたと言えるようになることが私には理想です。
21.迫り来るの脅威
ジョンはスー族の脅威を”蹴る鳥”に伝える決心をします。
我が家のスー族のために。
ジョン:
「あんたは白人の事を尋ねる」
「何人くらいやってくるのかと...」
「数え切れないほど大勢やってくる」
”蹴る鳥”:「人数は?」
ジョン:
「星の数ほど...」
「それを思うとスー族の事が心配だ」
”蹴る鳥”:「”10頭の熊”に伝えよう」
そして会合が開かれます。
”10頭の熊”は大事に持っている白人の兜を見せます。
”10頭の熊”:
「祖父の祖父の時代に、これをかぶった敵が...」
「そいつらを追い払った後、メキシコ人が来て彼らも去った」
「私の時代にはテキサス人が入ってきた」
「彼らは皆、同じだ。すべてを奪っていく」
「白人に立ち向かえるかどうか...」
「だがお前の言う通り、彼らはやってくる」
「これがそう言っている」
「我々の土地は守らねばならない」
「明日、冬の住みかに移動しよう」
スー族は移動民族です。
テントを移動しながら、暮らします。
ジョンは砦に日誌を忘れてきたことを思い出し、一人取りに戻ります。
スー族のことを詳細に記してあるため、読まれると追ってきます。
しかし、軍がすでに占拠していました。
スー族の衣装を着ているジョンは捕らえられ、シスコは銃で撃たれ殺されてしまいます。
うずくまるシスコを必死に介抱するジョン。
痛々しいシスコとの別れとなります。
スパイビー:「顔にひどいあざができたな」
少佐:「英語を話すのか?」
軍曹:「話せるなら早く話せ!」
ジョン:「話せるよ」
曹長:「何者だ?」
ジョン:「ジョン・ダンバー中尉。ここの守備隊員です」
曹長:「その服装はどうした?」
ジョン:「去年の4月着任したのですが、無人でした」
少佐:「その証拠はあるのか?」
ジョン:
「寝台の上に日誌がある...」
「すべてを記録してあります」
少佐:「お前とエドワーズは最初に来た。日誌はあったか?」
スパイビー:「ありませんでした」
少佐:「エドワーズは知っているか?」
スパイビー:「彼は外です」
軍曹:「お前、インディアンになっちまったのか?」
シスコの遺体にカラスの群れが集っているのを、ジョンは悲しげに見つめます。
兵隊:「どこを見てやがるんだ!」
ライフルでこづかれたジョンは、馬乗りになり、何度も何度も殴り返します。
シスコの復讐心でした。
繋がれ監禁されたジョンに少佐は尋問します。
少佐:「軍服はどうした?」
ジョン:「ここで何をしている?」
軍曹:「質問に答えろ」
少佐:
「命令を受けている」
「敵の征服と奪われた土地の奪還だ」
「白人捕虜を奪還すること」
少佐はジョンの質問に答えました。
ジョン:「敵はいない...」
曹長:
「それを確かめたい」
「通訳として案内すれば、君の行為を酌量しよう」
ジョン:「行為って何のことだ?」
曹長:「君の裏切り行為だ。協力すればそれだけ罪は軽くなる」
ジョン:「この土地は何もない」
少佐:「協力しないのか?」
曹長:「答えろ!」
ジョンは堂々とスー語で答えます。
ジョン:
「”おれの名は狼と踊る男だ”」
「”おれは”狼と踊る男”だ。ほかに言う事はない”」
「”お前らに話す事などない!”」
少佐:「こいつを川に連れて行け。顔を洗わせろ」
再び監禁されるジョン。
囚われても威厳を保ち続けます。
軍曹:「飯だ。喰え、インディアン!」
ジョンは運ばれた食事を蹴ちらしました。
スタンビー:「ぶっ殺してやる!」
軍曹:
「勝手に腹をすかしな。勝手にな」
「司令部に送り帰され、着いたら縛り首だ」
護送の途中に”2つの靴下”がジョンに近づこうとします。
エドワーズ:
「見なよ、スパイビー。おれたちをつけてるぜ」
「仕留めてやる」
スパイビー:
「何だ、へたくそ」
「バカな奴だ。つっ立ってやがる」
ジョンは繋がれた鎖をスパイビーに巻き付け絞め殺そうとしました。
ジョンヘの信頼と兵士に狙われる弾丸。
”2つの靴下”の困惑と失意は想像に難くないと思います。
人間でなくとも、涙なしでは見られないシーンです。
1発があたり、近づき仕留めに行く兵士たち。
少佐は規律を乱すことを許さず、引き返させます。
丘の向こうには”風になびく髪”たち、スー族の戦士がジョンを奪い返すため、待ち構えていました。
馬車が川を渡るその時、スー族たちが襲いかかりました。
これまでの西部劇で白人目線のインディアンとの戦闘は多々ありましたが、インディアン目線の、インディアン側に心情を置いた作品は無かったと思います。
これこそがマイノリティの心情に関心を持つということです。
いったい敵とは誰か?
本当の家とはどこか?
国家という都合のいい集団
文化・出自・環境など表層的な違いに重大な意味があるのか?
”笑っている顔”も志願してジョンを助けに来ていました。
逃げてきた軍曹と出くわし、銃口を向けられます。
”笑っている顔”は軍曹に斧を突き刺し、命をかけて守るということを学びます。
”笑っている顔”はスパイビーが持っていたジョンの大切な日誌を拾い上げます。
守るということ、生きるということ、次の世代に繋ぐということ、託すということ。
それを日誌の奪還を介して感じ取ることができます。
ジョンはスー族の元に帰還しました。
22.別れ
冬が訪れ、白い雪原にスー族のテントが点在している様を丘の上からの俯瞰でカメラは見せてくれます。
まるでブリューゲルの絵のように自然の中に人間の営みを感じさせる素朴な風景です。
皆が”狼と踊る男”の帰還を喜びます。
”10頭の熊”:
「”狼と踊る男”は口数が減ったな」
「何か悲しいのか?」
ジョン:
「川で兵隊を殺した事は、あれでいい」
「殺されて当たり前の奴らだ」
「だが、あれでおれは兵隊たちの憎しみを買った」
「おれは裏切り者になった」
「彼らは必ずおれを追ってくる」
「あなたたちも見つかるという事を意味する」
「すぐに移動して別の場所に移るほうがいい」
「おれはここで別れる」
「聞く耳を持つ白人に真実を話す」
それを聞いて、”蹴る鳥”は驚きジョンをじっと見つめ、”風になびく髪”は反対して退席しました。
2人のジョンへの親しみがそれぞれの性格をもって表れていました。
”10頭の熊”:
「静かにしろ!耳が痛いぞ」
「2人だけにしてくれ」
ジョンと”10頭の熊”以外は退席します。
”10頭の熊”:
「お前は初めての白人の友達だ」
「お前の事をいつも考えていた」
「お前は間違っている」
「兵隊が追ってくる男はもう存在しないのだ」
「”狼と踊る男”という1人のスー族の男になった」
「一服しよう...」
ジョンのナレーション:
「彼の一服には意味がある」
「私に留まれと言っているのだ」
「だが軍隊は私を口実にして、必ずここへやってくる」
「私は移動を主張したが、彼は微笑し日常の喜びを語った」
「彼の歳になると暖かい火が何よりだと言った」
「彼は素晴らしい男だった」
スー族にとって、パイプ(チャヌンパ)は特別な意味を持ちます。
神聖なものでその煙は天や精霊に届き、重要な交渉、会議の際には友好の証として、回しながら吸います。
宇宙や精霊と繋がり、集団の一体感、結束を強化するものとして使われていたようです。
23.未来への旅立ち
皆がジョンの気持ちと動向に漠然な不安を感じていました。
ジョン:「何か言えよ」
”拳を握って立つ女”:「何を言うの」
ジョン:「考えていることを...」
”拳を握って立つ女”:
「あなたは心を決めた。私はあなたと生きる」
「一緒に行くわ」
ジョン:「怖くないか?」
”拳を握って立つ女”:「いいえ」
ジョン:「この雪がやんだら発とう」
”拳を握って立つ女”:「皆に話したの?」
ジョン:「いいや」
テントの中の焚き火の静かに燃える音が、別れの悲しみとその癒やしを語っているようでした。
テントの中、ジョンとの別れに”蹴る鳥”は普段は見せない苛立ちの感情を見せます。
”蹴る鳥”の妻がどれくらい彼をいつも包みこんでいるかが、このシーンだけで分かります。
”蹴る鳥”の妻は黙って”蹴る鳥”に家の宝物を渡します。
”狼と踊る男”にあげなさいと目で言っていました。
”蹴る鳥”は村の出口の道でジョンを待ち構えていました。
ジョンも手作りのパイプを手にしていました。
”蹴る鳥”は英語で、ジョンに話します。
英語を学んでいたのですね。
”蹴る鳥”:「パイプはできたかね?」
ジョンはパイプを”蹴る鳥”に差し出します。
”蹴る鳥”:「できたか。それで使い心地は?」
ジョン:「使っていない」
”蹴る鳥”は自分への贈り物だと理解しました。
”蹴る鳥”は拙い英語で続けます。
”蹴る鳥”:「あんたとおれ、理解しあった」
ジョン:「君の事は決して忘れない」
去るジョンの姿にはとても綺麗なスー族の羽が髪に飾られていました。
私たちにはもうスー族の衣装、テント、矢、馬、首飾り、ペイントなどが心の中に入ってきていると思います。
知らずに受け入れ、馴染んでいると思います。
身体に染み込むとはこのような感覚なんだろうと思います。
まだあどけなさが残る青年、”笑っている顔”がジョンとお別れをします。
彼はスパイビーの懐から川に流れていった、ジョンの日誌を拾っていたのでした。
英文は理解できなくても、スー族に対する敬意と優しさに満ちたデッサンにジョンの思いを感じたのだと思います。
そして、はにかんだ笑顔で日誌をジョンに渡します。
この青年”笑っている顔”にはスー族やこれからの人々の未来を予見させます。
期待をさせてくれます。
白人との好意的な出会いと、敵対的な遭遇との両面を、幼い心で体験した彼のこれからの人生がどんな形をとるのかが楽しみです。
別の方角へと歩いていく”狼と踊る男”と”拳を握って立つ女”をじっと見届ける、スー族と人たち。
”風になびく髪”は彼らしい、勇ましい行動で友の行く末と別れを表現します。
山の断崖の上から、猛々しく槍を持ち上げ、ジョンに惜別の言葉を発しました
”風になびく髪”の声が何度も山々にこだまします。
”風になびく髪”:
「聞け!”狼と踊る男”!」
「”風になびく髪”だ!」
「おれはお前の親友だ!」
「いつまでもお前の親友だ!」
それは狼の遠吠えのように、勇ましく、激しく親友を希求する姿と声でした。
史実通り、白人と既に協力関係にあるポーニー族の道案内で、スー族を白人は追っていました。
そこに撃たれて死んだと思われていた”2つの靴下”の鳴き声が聞こえてきます。
この狼はジョン自身なんだろうと思います。
さまよう男は、スー族を介して真の自分を見つけました。
地に足をつけ、しっかりと前を見据え、これからも生き抜くことでしょう。
キャメラは雪道を踏みしめて歩いていく、”狼と踊る男”と”拳を握って立つ女”を写しながら、どんどん後ろに引いていき、二人は山に紛れていきました。
24.終わりに
そして、史実を語るエンドロールが入ります。
エンドロールナレーション:
「それから13年後、家を失い、バッファローも消滅し、最後のスー族はネブラスカ州の軍基地へ投降した」
「大草原の馬族文化は消え去り、アメリカの開拓時代は過去のものとなる時を迎えようとしていた」
クレジットの最後にこんなコメントが出てきます。
エンドロール:
「撮影中、動物には一切危害は加えられず、終始専門の調教師が訓練と指導を行った」
このコメントから、強者のコントロールでなく、『共生』『共存』という制作者のまなざし、強い意志を感じます。
ご存知の方もいるかもしれませんが、その後の史実では決して原住民との共生、共存がうまくできたわけではありません。
狩猟禁止、居住区の制限と原住民の暮らしを一変させるものですし、それは今も続いています。
そういった彼らの訴えを代弁していると思います。
本作のテーマである、「アイデンティティー」とはどういったものなのか。
どうして必ず必要なものなのか。
あることとないことの違いは?
ジョンの兵隊時期とスー族の時期との違いは何なのか。
物語が進むにつれて、心のエネルギーの強さと安らぎの変化を感じることができます。
そして真摯さ。
そして守るものの存在。
生きる動機がしっかりと現れてきました。
私が本作品を皆さんに伝えたかったわけは、生きる苦しみだけが膨らみ、生きづらさを感じている方々が多くいるからです。
楽しむことを忘れ、安心を求めることを諦め、前に進めずにいる。
誰しも青年期に考えるであろう「生きる意味」に答えを出さずに苦しみつづけている。
親に悩み、兄弟姉妹に悩み、恋人に悩み、友人に悩み、仕事に悩み、同僚上司に悩み、病気や障害に悩む。
等しく与えられた生のエネルギーを、こういった悩みにスポイルされている。
前述で『大切』とは、大事なものを切り取って自分の懐近くに置くことと言いました。
その大事なもの探しをしなくてはならない。
それは日課として行うこともあるかもしれないが、特に「自愛」は意識しなくてはならないと思う。
自愛の中からしか、自己発見はありえません。
それは自分を見つめることだからです。
何が好きで、何が嫌いで、何が得意で、何が下手かを知る。
何にときめいて、何に胸騒ぎがおきて、何に胸熱になって、何に共感するのかの方位磁針は自分の価値発見から来るものだからです。
「生きる目的」は自分だけのものです。
そこにストレス源の他者の関与は必要ありません。
目的が定まるということは、捨てるということも含みます。
扉Aを開けるということは、扉BCD...の世界を捨てることだからです。
ジョンという名前を捨て、”狼と踊る男”という名前を捨て、一人の男は生き続けます。
「信念をもった人は強い」
まとわりつく行く手を阻む周りの雑草は先に架空の道を見つけることができれば、気にならなくなります。
進めば、遠ざかっていくものだからです。
望遠レンズで遠くを見ると、近くのものはぼやけ、視界に入らなくなるのです。
フォーカスする力が悩みを見えなくしてくれて、目的に近づく引力になってくれます。
目的はあなたしか見えません。
右脳でしっかり感じてください。
ビビビッとくるものを感じれば、それがあたりです。
記憶を担う身体のすべての器官が全員一致で賛成しているということです!
人類なんてまだまだ、黎明期だと思います。
私たちが次の世代に何を「繋ぎ」、何を「託して」去っていくのか。
宇宙という「無限」の中で「有限」な私たちが何世代もかけてリレーで紡いでいく。
「無限」だから急ぐ必要はありません。
休みながらゆっくり行きましょう。
「有限」だから無駄にしてはいけません。
早く「生きる意味」を見つけましょう。
これまでお読みいただきありがとうございました。
いつも申している通り、映画は鏡です。
今作品の鏡からこんな自分が見えただけです。
あなたの鏡からは何が見えるでしょうか。
共有してくれると嬉しいです。
それでは、次回の作品でお会いしましょう。